奈良・京都

紫式部 紫式部年表



大徳寺塔頭大光院
〜豊臣秀長の菩提寺〜

編集:yoritomo-japan.com








大徳寺大光院


 大光院(だいこういん)は、大和大納言と呼ばれた豊臣秀長の菩提寺。

 1592年(文禄元年)、秀長の婿養子で大和国守を継いだ秀保が大和郡山に創建。

 しかし、1595年(文禄4年)、秀保が急死したことにより大和豊臣家は断絶。

 家臣だった藤堂高虎によって大徳寺に移された。

 境内に秀長の墓がある。



〜豊臣秀長〜

 豊臣秀長は、豊臣秀吉の異父弟。

 中国征伐をはじめとする戦いに秀吉の片腕として従い、四国征伐では長宗我部元親を降伏させた。

 その功績により大和・紀伊に和泉・伊賀の一部を加えられた100万石で郡山城に入城。

 権大納言となって大和大納言と称された。

 1591年(天正19年)1月22日、郡山城内で病死(52歳)。










大徳寺
リンクボタン大徳寺

 大徳寺は、1315年(正和4年)創建の臨済宗大徳寺派の大本山。
 戦国武将から信仰され、境内には多くの塔頭が建ち並ぶ。


京都市北区紫野大徳寺町53

JR京都駅から市バス「大徳寺」下車。



洛北エリアの寺社・史跡
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。








奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時