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中居屋重兵衛は、上野国吾妻郡中居村(現在の群馬県吾妻郡嬬恋村三原)の出身。 江戸に出て火薬の研究を行い、1855年(安政2年)には、火薬の専門書「砲薬新書」を出版した。 1859年(安政6年)の日米修好通商条約締結で横浜が開港されると幕府に強制的に移転させられたが、この機に上州生糸の貿易を独占し、多くの生糸を輸出して栄え、その屋敷は「あかがね御殿」と呼ばれていた。 しかし、1860年(万延元年)、営業停止命令を受けて没落。 翌年、死去。 |
旧生糸検査所 |
シルクセンター |
横浜開港で、生糸検査所は大いに栄え、1895年(明治28年)には生糸検査所が設置された。 開港広場前のシルクセンターは、1959年(昭和34年)、生糸・絹産業及び貿易の振興並びに観光事業の発展を目的として開館した施設。 |
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