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神奈川宿は、日本橋から3番目の東海道の宿場町。 かつての神奈川区台町あたりは、 神奈川湊を見下ろす東海道でも屈指の景勝の地。 1858年(安政5年)、神奈川湊沖では日米修好通商条約が締結されている。 |
神奈川区台町あたりは、神奈川の台と呼ばれていた。 弥次喜多道中で知られる『東海道中膝栗毛』には、 「ここは片側に茶店軒をならべ、 いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下桟などわたして、 浪うちぎはの景色いたってよし」とある。 |
神奈川宿が賑わっていたことから続いているのが1863年(文久3年)の創業の料亭の「田中家」。 「田中家」の前身は「さくらや」で、安藤広重の東海道五十三次にも描かれた。 高杉晋作やハリスなども訪れたといわれ、坂本龍馬の妻おりょうが働いていたという。 1874年(明治7年)、勝海舟の紹介で働き始めたおりょうは、英語が話せたことから外国人の接待に諜報されたという。 |
鶴岡八幡宮所蔵の古文書によると、1266年(文永3年)5月2日、北条時宗は武蔵国のうち稲目・神奈河の両郷にかかる役夫工米を免除することを命じている(北条時宗下文)。 「稲目」は現在の川崎市多摩区生田付近、「神奈河」は神奈川湊一帯。 「役夫工米」は、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮造営費用として諸国の公領・荘園に課された臨時課税のこと。 |
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