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「我国西洋歯科医学発祥の地」の碑は、横浜の居留地で歯科診療所を開設した米国人ウィリアム・クラーク・イーストレイクの来浜125周年と神奈川県歯科医学会創立60周年を記念して建てられたもの。 イーストレイクは、1865年(慶応元年)9月に来日し、居留地108番地で歯科診療所を開業。 1869年(明治2年)にはドイツに転居するが、1881年(明治14年)に再び来日し、居留地160番館で歯科診療所を開設した。 外国人の歯科診療活動の傍ら、日本人歯科医師の育成に努力した。 1884年(明治17年)には、福沢諭吉の誘いにより東京麹町に転居。1887年(明治20年)に築地病院で亡くなった。 「西洋歯科医学勉学の地」の碑のレリーフは、セント・ジョージ・エリオットとハラック・マーソン・パーキンス。 エリオットは、1870年(明治3年)に遺留地57番館で歯科診療所を開業。1874年(明治7年)まで歯科診療に従事した。 その後をうけて横浜に歯科診療所を開業したパーキンスは、多くの門人を指導。 松岡萬蔵は、エリオットとパーキンスの歯科診療所で技工士として勤務。 我が国の歯科技工士の嚆矢といわれている。 |
横浜市中区相生町6丁目107 神奈川県歯科保健総合センター前 |
馬車道は、幕末の横浜開港とともに始まり、吉田橋の関門から開港場へと続く道。 |
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